運用規定

《第一段階》(信行章:銅章)

第一段階は、寺院スカウト会もしくはスカウト団を単位として行われる集会において、寺院スカウト会の参与教務による監修のもと、所定の項目を正しく理解および実践することにより完修することを基本とする。

《信行章第一段階》は、佛立スカウト連絡会やその各ブロック(東ブロック・西ブロック・南ブロック)主催の“研修会"ではなく、原隊における通常の集会の一環として履修されることを推奨します。これは《信行章第一段階》にある“三祖の名"や“御看経の仕方"等といった「御信心の基本事項」の習得について、特別な1回の研修会で終わらせるのではなく、機会を見つけて繰り返し習得した方が有効であろうとの認識に立脚しているからです。通常の集会の一環ではありますが《信行章》でありますので、スカウト会が所属する寺院の教務(参与教務等)と予め良く調整の上、御信心を進める上で間違えの無い様、十分に配慮して進めてください。できれば、本「運用規定」を参考資料として、具体的な指導内容について担当の教務十分に話し合い、必要であれば担当の教務にも参加して頂き、《信行章第一段階》を履修していただけると好適と存じます。また、佛立スカウト連絡会の各ブロック(東ブロック・西ブロック・南ブロック)に《信行章》担当者が在籍しておりますので、履修内容について不明な点は良く確認していただいた上で、集会での履修をお願いします。

 

なお、本門佛立宗の寺院スカウト会に所属しておらず、原隊での通常の集会の一環として《信行章第一段階》を履修できないスカウトに対しては、別に設定する《信行章第一段階》相当研修会にて履修する必要があります。具体的な「原隊集会の一環としての《信行章第一段階》を履修できないスカウト」とは、例えば『ボーイスカウト富士章挑戦のために宗教章として仏教【本門佛立宗】を選択したスカウト』など、それまで【本門佛立宗の信仰】に接したことの無いスカウトを指します。彼等(彼女等)に対して、適正な履修環境として《信行章第一段階》相当研修会を佛立スカウト連絡会により開設される必要があります。《信行章第一段階》相当研修会の解説・運用は、佛立スカウト連絡会各ブロック(東ブロック・西ブロック、南ブロック)により、ブロック参与教務の監修の下、本門佛立宗寺院スカウト会原隊における通常集会の一環として実施される《信行章第一段階》と同等の内容を履修しますが、初めて本門佛立宗に触れる青少年であることに十分配慮された内容となります。

 

第一段階の履修対象(スカウト・リーダー等)は、特に限定されない全てのスカウト会関係者で、登録を完了している者を対象とする。

《信行章第一段階》の履修対象スカウトは、全てのスカウト会関係者とすることを想定しています。現状、佛立スカウト連絡会各寺院スカウト会には、本門佛立宗の信仰に入信していないスカウト会関係者も多く在籍していることは事実です。しかし、スカウト会への入隊に際して「本門佛立宗の寺院に在籍しているスカウト会に入隊すること」「スカウト活動に本門佛立宗の信行を取り入れていること」等の条件を承諾されている方々ですので、「御信心の基本事項」たる《信行章第一段階》を原隊の集会の一環として履修することは既に承諾されており、むしろ正式な本門佛立宗の「御信心の基本事項」に接する機会を持っていただいたほうが“収まりが良い"ように思われます。

 

第一段階の完修を認定された者は、その申請により宗務本庁より「銅章」を授与される。

《信行章第一段階》の完修は、原隊における通常の集会の一環として実施された場合は、監修して頂いた参与教務により認定されます。一方、佛立スカウト連絡会各ブロックによつて開設される《信行章第一段階》相当研修会として実施された場合は、ブロック参与教務が完修の認定を行います。そして《信行章第一段階》完修者は「銅賞」の授与を申請することができます。なお、「銅賞」「銀賞」「金賞」の申請手続き(ながれ)は、本運用規定の附則として別に設定します。

 

(1) 宗派の名、本山の寺号と所在地、本尊並びに三祖の名を知る。

信行章として、知識を問う課題です。この部分は学校での勉強と同等に取り扱い、信行における常識として身に付けるようにしてください。知識だけでは信行は成就しませんが、必要な知識が欠落しているようでは何も始まりません。なお、本門佛立宗では“仏"ではなく“佛"の文字を統一して用いるようにしています。

・宗派の名:本門佛立宗

・本山の寺号:本門佛立山宥清寺

・本山の所在地:〒602‐ 8336 京都府京都市上京区一条通七本松西入ル滝ヶ鼻町1005‐ 1

本門佛立宗が一宗独立した宗派である認識を持たせ、その宗名を知り、本山が京都にあることを解らせて下さい。

 

・本尊:法華経本門人品において顕された南無妙法蓮華経の大曼茶羅

本門佛立宗の“本尊"を示すとするとこのようになります。ただし、本門佛立宗においては“行"としての信行を旨としますので、本尊を知つたからといってそれで留まることなく、“行"の信行を勧めるようにしてください。

・三祖の名:高祖日蓮聖人、門祖日隆聖人、開導日扇聖人

三祖とは、以下の通りです。

【宗祖であられる“高祖日蓮聖人"】

【本門人品所顕上行所伝本人下種の御題目を改めてお示しいただいた“門祖日隆聖人"】

【本門佛立宗を開きお導き頂いた“開導日扇聖人"】

その名には“聖人"の尊称を付けます。また日蓮聖人は、「日蓮大菩薩」や「御祖師様」などとも尊称されます。

 

(2)御看経の仕方、合掌の仕方、お数珠の持ち方を知り行える。

・御看経の仕方

御看経は、本門佛立宗の信行の基本と位置付けられているものです。まだ御題目や御看経の詳しい意味が解らないような年齢のスカウトに対しても、御題目を口唱すること自体は実践できる信行です。まずは正しい御看経の実践から始めるようにしましょう。

本門佛立宗は“口唱宗・題目宗"とも称されるように、御題目口唱《御看経》を信行の第一として、これを勧めています。

例として、東京清雄寺では「良い御看経」と称して、次のように勧めています。

一、 御本尊をみつめ

一、 ご弘通を第一にいのり

一、 一遍でも多く

一、 姿勢を正し

一、 大きな声ではっきりと

上行所伝のお題目を、お唱えいたしましょう。

<姿勢を正し、日は御本尊を敬視し、日で御題目を唱え、耳で自らの唱題を聴く>

このように真剣に御題目口唱を積んで御信心を深める、これこそが本門佛立宗の御看経です。

 

御看経は、宗祖であられる高祖日蓮聖人が、自らが上行菩薩の生まれ変わりであるとの御自覚のもと、上行菩薩所伝の御題目を、我も唱え他人にも勧めるとお示し下されていることに基づき、その尊い御題目を一遍でも多くお唱えさせて頂くことであります。上行所伝の御題目は、真の仏教を顕しているものでありますことから、たとえ一遍でも唱えれば、御利益を戴けるとこ請け合いです。ただし、凡夫である私達のこと、真の上行所伝の御題目を全く完全に口唱できることは中々有りません。そのため、なるべく多く、一遍でも多くお唱えして、完璧“確率"を高くしているのです。そのために、たくさんの御題目をお唱えするよう、お勧めしているわけです。また、御看経とは、御法様(御本尊)に御宝味である御題目をお供え申し上げることでもあります。私たちをお守りくださる御法様に対し、御宝味である御看経を、それこそ“たっぶり"お供え申し上げることが、何よりの御供養となるに相違ありません。

御看経は、なるべく沢山、一遍でも多く御題目を口唱することが本門佛立宗の信行の肝要です。そのために、第一段階で御看経に関する基本的事項が課されています。しかし、低年齢スカウト(ビーバースカウト・カブスカウト・ブラウニー)に長時間の御看経を強いる事は、自ずと無理を伴います。佛立スカウトとしては、まずは上述した“正しい御看経"を指導し、スカウトの集会毎に(たとえ短時間でも)本堂で御看経を上げる習慣を付ける事を奨励します。同時に、ここで示された“御看経を沢山あげることの大切さ"を説き、信行を深めるように指導してください。

 

合掌の仕方、お数珠の持ち方

正しく合掌し、正しくお数珠を持つことは、正しい御看経を上げるための基本事項です。初めて御宝前(御法様)に手を合わせる年齢のスカウトもいるかもしれませんが、御不敬にならないよう、正しい持ち方を指導してください。特に、お数珠の左右の見分け方を間違える子供が多いようです。〔房が二つが右/三つが左〕や〔上行菩薩・浄行菩薩を顕す珠が有る方が右〕など、子供たちが理解しやすい方法で、正しい持ち方を指導してください。また、「低年齢のスカウトにはお数珠を持たせない」考え方の寺院スカウト会もあるかもしれません。その場合は、《信行章第一段階》を履修する集会のときだけでも一時的にお数珠を貸与し、知識として“お数珠の持ち方"を習得しておくようにしましょう

 

両手の掌(てのひら)を合わせて“合掌"します。

お数珠は、房(ふさ)が二つの方を右手に、三つの方を左手に、それぞれ親珠(おやだま)を中指の外に出して、合掌した両手に掛けます。

お数珠には、右の図のように、それぞれの珠に其々意味があります。

左右の親珠は、右手に掛ける方が釈迦如来(釈迦牟尼佛)、左手に掛ける方が多宝如来(多宝佛)で、その脇士には、上行菩薩、無辺行菩薩、浄行菩薩、安立行菩薩という四菩薩、そして持国天、広目天、毘沙門天、増長天の四天王や釈迦の十大弟子などを意味する珠があります。

これらが、胸の前で合わせた合掌にお数珠として掛かつていると、口唱した御題日(南無妙法蓮華経)と併せて、お看経している人自身が、御題目を中心とした“御本尊(曼茶羅)"となるとされています。

無始己来のときや言上のときには、合掌の両手の指に掛けてお唱えをし、御題目口唱(御看経)のときには左手にてお持ちし、右手で拳(こぶし)を結び、膝を打つて唱題(御題目を唱えること)します。 (参考資料;『佛立薫化進級章ハンドブック』)

正しい合掌の仕方。お数珠の持ち方ができるようになったら、その意味を解りやすく解説してあげることも大切です。「正しく合掌してお数珠を持ち、御題目口唱すれば、自らが“御本尊(曼茶羅)"になる」ことを示してあげれば、正しい御看経に興味を持ち、ふざけず真面目に御看経をするようになるよう、指導してあげてください。

 

(3)御宝前のお給仕の仕方を知り行える。

「生きてまします御仏(みほとけ)である御法様」に対する御敬いを忘れずに、《お給仕第一》の気持ちを基本として、御宝前のお給仕をさせていただきましょう。

実際の御宝前は、信徒以外のスカウトには身近ではない場合もあります。それでも御宝前のお給仕は、信行の基本を構成する大切な要素です。《信行章第一段階》を履修する集会のときだけでも、寺院に奉安されている御宝前を活用させていただき、お給仕の仕方の“ポイント"を習得し、実践できるようにいたしましょう。

 

・お給仕の心得と準備

御宝前のお給仕は、御敬いを以つてさせていただくものですので、《きちんとした身なり》《きちんとした礼儀》を旨としてさせていただき、必ず“ふくめん(12cm程度のプラスチック製で口に当てて使用する)"を掛け、火打ちを打つて浄めることも忘れずにします。また、はたきなども普段使いとは別にして、布巾も新しいものを下ろして専用にして使用します。

御宝前のお給仕での《きちんとした身なり》《きちんとした礼儀》について、通常の集会の一環として実施するのであれば、スカウトの制服を着用することで《きちんとした身なり》は問題ありません。ただ“ふくめん"を所有していないスカウトもいると思いますので、人数分を予め用意しておくようにしたいものです。火打ちは、ちょっとした“コツ"をマスターしておきましょう。はたきや布巾の掛け方も、まずリーダーがマスターし、スカウトにも丁寧に指導できるようにしておくべきでしょう。

 

お給仕① お初水

朝の身支度を整えた後、お初水をお供えします。専用の器にお初水(その日の最初の水)を取つておき、そこからお天目に移して注ぎ、お供えします。お初水は夕方にはお下げして、お下がりを頂いてください。

“水"は、生活をする上で最も基本となる要素です。ですから、昔から人々は“水"に対して特別な取扱をしてきました。その日の生活の始めに位置付けられる朝一番の“お初水"は、全ての生活の出発点になります。これを御宝前にお供えすることは、“御信心第一の生活をおくる"ことに繋がります。きちんとお供えできるようにしましょう。

 

お給仕② お掃除

御宝前や御宝前のお道具のお掃除は、丁寧にさせて頂きましょう。専用のはたきでほこりを払い、ふき取り。空ぶきでお磨きをさせていただきます。

御宝前や御宝前のお道具をきれいに保つことは、御宝前に対するお敬いの顕れです。埃などで御宝前が汚れていることの無いよう、常に注意するようにいたしましょう。また、御宝前のお掃除を、家の他の場所のお掃除の“ついで"にすることは差し控えましょう。そのため、御宝前専用のはたきや布巾を用意して「まずは御宝前のお掃除を」するようにいたしましょう。

 

お給仕③ お供え

炊飯したら、必ず最初に“お佛飯"をお供えさせて頂きます。そのとき、しゃもじも普段使いとは別にしたほうが良いでしょう。また、果物やお菓子(お土産)なども、先ず、御宝前にお供えして、私たちはお下がりを頂くようにいたしましょう。お供えは“やり放し"にするのではなく、しばらくしたら(例えば“お佛飯"でしたら湯気が消えたら)お下げするようにいたしましょう。

人間は食事をしなければ生きてはいけません。御法様(御本尊)も“生きてまします"ですから、御宝前にもお食事をお給仕することは当然のこととします。その際、御宝前に対するお敬いとして、後まわしにするのではなく“最初に"お給仕させていただくようにしましょう。また、お土産や頂き物なども“まずは御宝前に"との姿勢でお供えして、その後、お下がりを戴くようにする《気持ち》が大切です。ただ、御宝前にお供えしたからといって実際に食事をされることはなく区切りが解りづらいですが、“やり放し"にすることなく適切な時間を置いた後にお下げするようにしてくださいc(時間が短すぎても長すぎても御不敬にあたります)

 

お給仕④ お看経

御宝前へのお給仕で、一番大切なものは、御題目口唱(お看経)です。御法様の一番のご供養は御題日であることを忘れずに、お掃除。お供えと共に、お看経をあげることで、御宝前へのお給仕とします。(参考資料;『ご奉公のすべて一信者の朝から夜まで一』昭和五十九年大放光新年特別号付録)

御宝前への一番大切なお給仕は“お看経"です。お看経は御宝前への一番のご供養であることを忘れずに、御宝前へのお給仕をできるようにさせてあげてください。

 

(4)お寺、お講(スカウトお講)に参詣できる。

お寺やお講に参詣して、本堂でお看経し“御法門"を聴聞することは、本門佛立宗の信行を改善・増進し、自らの成長を促す《道場》と位置付けてください。本門佛立宗のお寺やお講は“死者を慰めるためだけ"のものではありません。そして“自身をよくする"だけでなく、“他をよくするため"すなわち他の人々を助け世の中を良くする“菩薩行"を勧めるものであると認識してください。

スカウトの集会参加のためにお寺に来ることを、単に来るだけでなく、“本堂に昇堂してお看経する"ことにより参詣として位置付け、そこが“信行・菩薩行の道場"であることを示してあげるだけでも“信行の第一歩"になるでしょう。

 

・お寺参詣

お寺参詣には、通常の日中参詣のほかに“朝参詣"や“御会式参詣"“御修行日(お総講)参詣"などがあります。本門佛立宗の寺院では、毎朝、御信心の仕方や心得などを説く“御法門"をしていただいており、多くの御信者が聴間のために朝参詣しています。また、“御会式"や“御修行日(お総講)"等の奉修に合わせてお参詣されています。更に、冬季や夏季に“寒参詣"や“夏期参詣"を設定して参詣を促進しています。

 

・お講参詣

当宗のお講とは、仏さまの立て給うた真実の宗旨の教えを、いろいろ説き示し教え導き、教えられたままを素直に学び習う場なのです。そのお講は組や連合(スカウト会)という信者の団体の中で行われます。(中略)お講は、世間一般の法事などのように、死者を慰めるためだけのものでなく、第一の目的は、真の道を聞いて“自身をよくするため"そして“他をよくするため"であります。

(参考資料;『ご奉公のすべて一信者の朝から夜まで一』昭和五十九年大放光新年特別号付録)

 

(5)宗の信仰に基づき、地域社会および寺院のため奉仕する。

本門佛立宗は、上述したとおり「真の道を聞いて“自身を良くするため"そして“他を良くするため"」という“菩薩行"にこそ、その根幹があると云えます。自分が良くなるだけでなく、地域社会や寺院が良くなるように奉仕することは、スカウト活動の本質であると同時に、本門佛立宗の信仰の現われでもあると云えるでしょう。ですからスカウトとしての奉仕活動をすることが、そのまま「宗の信仰に基づく奉仕」になります。

「宗の信仰に基づく奉仕活動」といっても、特別むずかしいことではありません。本門佛立宗の信仰が“菩薩行"という“他を良くするため"を旨としているので、奉仕の精神をモットーとするスカウト活動と方向性が一致しています。従つて、通常のスカウト活動として取り組んでいる【奉仕活動】すなわち、地区として実施している行事への奉仕や、スカウト会が所属する寺院の法要(御会式など)への奉仕を着実に実施することが、宗の信仰に基づく行動となります。

 

《第二段階》(信行章:銀章)

 

第二段階は、佛立スカウト連絡会各ブロック(東ブロック・西ブロック・南ブロック)が主催する「佛立スカウト信行章」研修会に参加し、ブロック参与教務による監修のもと、所定の項目の受講および実践を通じて正しく理解することと併せて、実践記録・レポート・感想文を提出などにより完修することを基本とする。

 

第二段階を履修できるスカウト・リーダー等は、「銅章」取得後、そこに規定されている信行を1年間継続した者、および同等以上と認められた者で、登録を完了している者を対象とする。

 

《信行章第二段階》は、《信行章第一段階》を履修したスカウトおよび関係者が、《第一段階》で規定されている信行事項を“1年間継続"することにより「御信心の基本事項」を習得した上で、佛立スカウト連絡会の各ブロック(東ブロック・西ブロック・南ブロック)が開設する「佛立スカウト信行章研修会」に参加して、さらに本門佛立宗の信仰について深く習得することを目的としています。また、同じ本門佛立宗の寺院スカウト会として所属する仲間が、ブロックとして一堂に会することで親睦をより深めることも目的としていますcとはいつても、急に内容が高度になることはありません。一般の御信者が普通に有している“信行常識"に近づける内容となっています。「自分本位の(間違った)“信行常識"」とならないよう、ブロック参与教務監修のもと、実践を通じて“信行常識"を正しく習得することを目的としています。

なお、本門佛立宗の寺院スカウト会に所属しておらず、《信行章第一段階》を履修する機会の無かつたスカウトに対して、この《信行章第二段階》研修会の前段階として、別に《信行章第一段階》相当研修会を開設し、当該項目を履修するようにします

 

第二段階の完修を認定された者は、その申請により宗務本庁より「銀賞」を授与される。

 

《信行章第二段階》の完修認定は、研修会を開設した佛立スカウト連絡会各ブロック参与教務により、完修の認定を行います。

《信行章第二段階》完修者は「銀章」の授与を申請することができます。なお《信行章第一段階》でも記載したとおり、「銅章」「銀章」「金章」の申請手続き(ながれ)は、本運用規定の附則として別に設定します。

 

(1)本門佛立宗および佛丸について、その意義意味を知る。

「本門佛立宗」の名称は、「久遠の本佛により立てられた宗旨」の意味を有しています。

「本門佛立宗」は、宗祖である日蓮聖人が「久遠の本佛により立てられた宗旨」を良く理解して体系化し、その宗旨をそのまま受け継いでいる宗派との認識により示されている名称です。

 

佛丸は、宗名の「本門佛立宗」のうち「佛立」の文字を図案化したものです。

佛丸は、「佛立」の文字を用いてエンブレムに図案化されています。佛丸の上の部分が“仏"の文字を、下の部分が“立"の文字を、それぞれ表現しています。佛丸の図案は、開導長松日扇聖人により制定されました。明治の時代に制定された図案としては、現代でも十分に通用する“モダン"なセンスにあふれているデザインです。

 

(2)簡単な釈尊の伝記と教えについて述べる。

【釈尊の伝記】といつても、詳細に示すとすると膨大な分量となり、また、時代も2500~ 3000年も前のことですので、執筆した研究者によつて内容に大きな差異が生ずることすらあります。参考資料として以下に示しますが、スカウトにはこれを全て習得させるのではなく、興味を持たせることを中心に指導してください。

 

釈尊とは“釈迦牟尼仏"を略した尊称で、“仏陀・仏・釈迦如来"などとも呼ばれています。釈尊は王族として生まれましたが、衆生の生活を観て、人生の無常を悟り、真理を悟りました。仏教(仏法)とは、釈尊がその御一生を通じて悟つた諸々の教えを、御一生を通じてお説き頂いており、その教法を総じて称しています。

 

釈尊の伝記

釈尊は今から2500~ 3000年前、北インドにシャカ族の小国にあるカピラ城があり、その城主スッドーダナ王(浄飯王)と王妃マヤ夫人の間に、4月8日に誕生されたのが後の釈尊で、シッタルダ(悉達多)太子と名づけられました。幼いころから何一つ不自由無い生活を続けてきた太子でした。

太子は、幼い頃から王子の教養として学問や武芸を習い、非凡なる才能を発揮されて、人々からやがて全インドを支配するほどの王になるものと期待をかけられるほどになられました。 しかし、生後7日日で亡くなられた母マヤ夫人のことを考える頃になると「人間。人生」に対する疑間を生じ、深く思い悩むことが多くなりました。成人して隣国の王女ヤソーダラ妃と結婚され、男児ラーフラにも恵まれ、不自由のない生活を続けられたのでしたが、深い憂いを払いのけることはできず、「人間。人生」に対する苦悩の解決が得られない限り、どんなに華やかな宮廷の生活も太子には空しいものでした。ある日、城の門の外に出た太子は、生活に苦しむ庶民の姿を目の当たりにしました。東門を出たところでは老いて足腰の曲がった老人に出会い、南の門を出たところでは死の床に苦しむ病人

に出会い、西の門を出たところでは死亡した人の葬式に出会い、こうした生老病死に心を痛めていたが、最後に北の門を出たところで世俗を超越した出家修行僧に出会い、その苦悩を超越した姿に心を打たれ、人生の苦しみを解決するために、太子はその地位も家庭も家族も捨てる覚1吾を固め、深夜ひそかに愛馬カンタカにまたがって、従者チャンダカー独りを連れ、王宮を出て求道の旅に出ることとしました。太子19才の時です。

 

一介の修行者となつた太子は、各地を巡つて聖者・名僧から教えを受けましたが、その人たちは自分の学識や神通力を誇るだけで、太子の「人間。人生」に対する悩みを解決してはくれませんでした。また太子は、修行者が多く集まる苦行地へも赴き、食を断ち、睡眠を断ち、身体を火であぶり、滝に打たれ、あらゆる難行苦行を続けましたが、いくら肉体を苦しめても精神の自由を得ることはできませんでした。肉体の衰弱は心の衰弱になると考えた太

子は、ナイランジャナー河(尼連禅河)に身を浸して苦行の垢を洗い流し、村娘スジャータの供養する乳粥を食ベて元気を回復しました。しかし太子と苦行を共にした5人の修行僧は、太子の姿を見て「修行を捨て堕落した」と考え、太子を見捨ててしまいました。

太子はナイランジャナー川のほとりにそびえる大きな菩提樹の下に坐り、静かに瞑想に入りました。心の底にある睡眠欲。名誉欲・愛欲。恐怖・孤独など、あらゆる誘惑が悪魔の姿や美女の姿となって襲いかかり、太子の耳元で囁き続けたのですが、太子はこれを一つ一つ退けていきました。やがて心が次第に統一され、長い間の迷いと苦しみが消えて、広い海原のような自由な世界が太子の心に拡がりました。ついにシッタルダ太子は、宇宙。人生の心理に目覚めた【覚者―仏陀一】となられ、シャカ族出身の聖者ということから、シャカムニ仏(釈迦牟尼仏)。釈尊と呼ばれるようになりました。御歳30歳の、12月8日の暁のことと伝えられています。

悟りを得た釈尊は、それをできるだけ多くの人々に伝えたいというお気持ちを強く持ちました。まず、離れていつた5人の1日友(苦行を共にした修行僧)たちに説法をされるため、ガンジス河の中流のヴァラナシの北、サールナートにあるムリガダーヴァ(鹿野苑)に向かわれました。釈尊は5人に対して「極端な悦楽と、極端な苦行とは、いずれも悟りへの道ではない。中道こそ真の道である。」と説き始められ、5人の旧友は釈尊の弟子となることを願い出ました。仏・法。僧の〔三宝〕を得て、ここに最初の仏教集団が成立したのです。そしてここから世界中の人々に、仏教の法輪が拡がってゆくことになってゆくのです。

多くの人たちに少しでも早く教えを伝えようと思った釈尊は、サールナートを発ち、当時の大国、マガタ国の首都ラージャグリハ(王舎城)へ入られました。そこで説法をされると多くの人々が信者となるようになりました。やがてマガタ国の国王ビンビサラの帰依を受け、初めての仏教寺院〔竹林精舎〕が建立されました。釈尊は王舎城を中心として、コーサラ国などのガンジス河の流域各地を巡られ、50年間に亘つて民衆の幸福と平和のため、仏教の教化活動を続けられたのでした。その折々に説かれた教えは、いわゆる“8万4千の御法門"として現在に伝えられています。また、コーサラ国の富豪スダッタ(須達長者)が釈尊に帰依をして寄進した寺院が、有名な〔祗園精舎〕です。

王舎城の東にそびえる岩山は、遠くから鷲の姿に見えるため、グリドラクータ(霊鷲山)と云われ、釈尊はこの山の上に一番長く滞留されました。(ビンビサラ王が参詣のため造らせた石段が今も残つています)釈尊の御晩年の8年間にこの霊鷲山で説かれた教えが“法華経"です。この法華経を説かれるに先立って、釈尊は「今までに説いてきた沢山の教えは、真実の教えに人々を導き入れるための方便としての仮の教えであった。」ことを明らかにされ、「これから説く法華経にこそ、本当の悟りが示されている。」と述べたと伝えられています。こうして、釈尊の悟りの真髄ともいえる“法華経"が説かれました。

法華経の前半部分(述門)では、釈尊のお悟りの哲学的な内容について述べられ、後半部分(本門)において、釈尊御自身が、実は久遠の昔にすでに成仏された永遠の仏(久遠の本仏)であるが、人々を救済するために今回インドに生れ、修行をして悟りを得るという姿を取られたのだと、御自身の本当の“御身分"と“寿量"を明らかにされ、「(釈尊自身の)このような尊い身分になれたのも、遠い音に【本因妙】という菩薩行を修めたからである。」と、人々にも法華経による菩薩行を薦められました。こうして、釈尊御自身の久遠の一番弟子、上行菩薩を召し出し、“仏滅後末法悪世"の人々を救済するため、悟りの法“南無妙法蓮華経"のお題目をお与えになって、その弘通を

お命じになったのでした。こうして、真実のお悟りの法を明らかにされ、それをお弟子に譲られた釈尊は、霊鷲山をお下りになり、最後の教化の旅に出られたのでした。

生れ故郷ルンビニヘ向かう途中、クシナガラ郊外のサーラ樹の林を涅槃(ねはん)の地と定められ、2本のサーラ樹(沙羅双樹)の間に横たわられました。釈尊は離別を惜しんで号泣する弟子たちに、最後まで「限りある時間を大切にして修行に励みなさい」とお諭しになり、静かに涅槃にお入りになられたとのことです。御歳80歳の2月15日のこととされています。

この久遠本仏の釈尊の教えに基づき、上行菩薩、すなわち高祖日蓮大士を通じて伝えて頂いた“法華経本門人品所顕、上行菩薩所伝、本因下種のお題目である南無妙法蓮華経"をお持ちし、御弘通してゆくのが、我々本門佛立宗信者の本分であるのです。

 

(『仏立スカウト信行章(仏教章)第二段階リーダー用テキスト』より

 

 

(3)家庭内でお給仕・御看経に勤め、記録を提出する

【家庭内でのお給仕・御看経の記録提出】といつても“合格に必要なお給仕。御看経の量をチェックする"という訳でもありませんし、そもそも“合格に必要なお給仕。御看経の量"も存在しません。ただ、常日頃の家庭内でのお給仕。御看経の実践は、本門佛立宗の信行の基本ですので、「お給仕・御看経は日常の中で習慣にする」ことが肝要です。そのための具体的な《きっかけ》とするための記録提出ですので、スカウトの日常に「お給仕・御看経」が定着するよう、応援してあげてください。

 

本門佛立宗では、常日頃からの「お給仕・御看経」が“信行の基本"でありますので、これを家庭

でも実践している記録をつけ、提出してください。

 

正しい「御看経の仕方」「お給仕の仕方」については、第一段階で習得したとおりです。習得した正しい「仕方」を、「御看経」は一遍でも多く唱えるようにし、「お給仕」は生きてまします御法様に対するお給仕として、毎日欠かさず、生活の中で“習慣"として実行できるようにしてください。そのための第一歩として、毎日の「お給仕・御看経」の記録を付け、それを提出してください。

 

(4)妙講一座・如説修行抄の素読ができる。

【妙講一座。如説修行抄】の“素読"であって、暗記。暗唱ではありません。経文の全てを完璧に覚える必要は無いのです。【妙講一座・如説修行抄】の栞を良く見て、正確に(あまり文言を間違えないように)“素読"することが大切です。良く見て“素読"することによつて、かえって文言の内容が良く解るようになります。正確に“素読"し、文言の内容が良く解る方が、御法様の御本意に沿うはずです。

 

「妙講一座」「如説修行抄」が記された栞(しおり)を用いて、度々の御看経の折に“素読"する

ことを繰り返します。暗記する必要はありません。良く見て、正確に“素読"してください。

 

「妙講一座」は、開導。日扇聖人が編纂されたものです。「如説修行抄」は、高祖。日蓮聖人により御執筆いただき、開導聖人により御選定いただいたものです。共に「佛立信者として如何に信行を進めるべきか」が記され、従つて、御看経の折に御唱えさせて頂くべきものとされています。

「妙講一座」「如説修行抄」は“素読"するものです。暗記して暗唱する必要はありません。

「如説修行抄」にも、その最後に

「此書御身を離たず常にご覧有べくさふらう(この如説修行抄を携帯して常に目を通すように)」とあり、「(目で見て)御覧Jと有りますが「記憶しろ」とは有りません。

実際に、日で見て“素読"するほうが、そこに書かれている内容を認識するものです。

御看経の折にお唱えするものですから、度々に繰り返し“素読"することによつて、御法様の御本意に触れられるようになるはずです。

 

《第三段階》(信行章:金章)

 

第三段階は、佛立スカウト連絡会が主催する「佛立スカウト信行章」研修会に参加し、佛立スカウト連絡会の参与教務による監修のもと、所定の項目の受講および実践を通じて正しく理解することと併せて、実践記録・レポート・感想文の提出などにより完修することを基本とする。

 

第三段階を履修できるスカウト・リーダー等は、「銀章」取得後、そこに規定されている信行を1年間継続した者、および同等以上と認められた者で、登録を完了している者を対象とする。

 

第三段階の完修を認定された者は、その申請により宗務本庁より「金章」を授与される。

 

《信行章第三段階》は、《信行章第二段階》を履修したスカウトおよび関係者が、《第二段階》で規定されている信行事項を“1年間継続"することにより、「一通りの御信心の在り方を心得ることが出来て信行を進める準備を完了した」者に対し、佛立スカウト連絡会が《本山・宥清寺》を会場に開設する「佛立スカウト信行章研修会」に参加して、本門佛立宗の信仰を自らの生活に意義のあるものとして取り入れることを目的としています。

《信行章第三段階》では、本門佛立宗の寺院スカウト会への所属の有無の区別が無くなります。すなわち、本門佛立宗の寺院スカウト会に所属していなかったスカウトおよび関係者でも、《第二段階》を履修したことで「御信心の基本事項」を習得したものと認められ、同等に扱われることとなります。

《信行章第二段階》は、《本山。宥清寺》を会場に開設する「佛立スカウト信行章研修会」が、その主体となります。全国の本門佛立宗の信仰を目指すスカウトが、《本山・宥清寺》に一堂に会して研鑽を深めることで、その御信′心を確かなものとすると同時に、仲間同士の親睦をより深めることも目的としています。開導聖人の御苦労が偲ばれる《本山・宥清寺》において、仲間と共に自らの御信心を改めて確立し、信行章の履修を総仕上げする機会は、受講したスカウトおよび関係者にとつて、意義深いものとなることでしょう。

 

また、「金賞」を取得したものは、

[ボーイスカウト]

1級以上のボーイスカウト、ベンチャースカウト及びローバースカウトであれば、ボーイスカウト日本連盟の規定に従つて、宗教章[仏教]を申請することができる。

[ガールスカウト]

シニアスカウト以上のガールスカウトであれば、その申請により宗務本庁より「宗教に関するバッジ(本門佛立宗)」を授与される。

 

《信行章第三段階》を完修すると佛立スカウト信行章の全ての課程についての履修を完修することとなり、申請により宗務本庁から「金章」が授与されます。同時に、[ボーイスカウト]であれば『ボーイスカウト日本連盟』の規定に従つて『宗教章[仏教]』の申請をすることができ、[ガールスカウト]であれば本門佛立宗宗務本庁に申請することにより『宗教に関するバッジ[本門佛立宗]』が授与されます。

なお、

[ボーイスカウト]『宗教章[仏教]』申請手続き、

[ガールスカウト]『宗教に関するバッジ[本門佛立宗]』申請手続き、

それぞれの申請手続き(流れ)に関しては、佛立スカウト信行章「銅章」「銀章」「金章」の申請手続きと併せて、本運用規定の附貝Jとして別に設定します。

 

(1)簡単な宗の教義とその概要について述べる

 

本門佛立宗の教義

本門佛立宗の教義を考える前に、宗教信仰の必要性について少し考えてみましょう。

 

現代の風潮として「法律や道徳さえしっかり守っていれば、宗教は必要ない]とか「科学万能の現代において、非科学的な宗教など無くとも幸せに暮らせる]とかが謳われて久しいようです。

 

確かに“法律や道徳"を守って暮らしていれば社会生活を送る上で問題を生じることはないでしょう。ですが“法律や道徳"は他者に対する迷惑を禁じていることが大半で、そのような生活では、訴追されることは無いかもしれませんが、人々が須らく幸せになることとは一線を画しているものです。また“科学万能の現代"は、いわゆる“物質社会"を保障しているに過ぎず、幸せな生活の基盤を為す“精神社会"への貢献は乏しいものです。その結果、現代風潮のもたらす社会には「何かが欠けている」と謳われてしまつているものです。

 

科学が進んでも人間の本質はそれほど変化するものではないことは、宗教の存在自体を否定して精神的主柱を失つた民衆を擁した共産圏諸国が、管理経済の非生産性と相まって次々と崩壊して行ったという歴史的事実からも立証されていると云えるでしょう。人間には【良い面と悪い面】【強い面と弱い面】といつた、相反する性質を併せ持ち、その時々の気分(気持ち)は流されやすく、移り易い変わり易いものです。そのため、どんなに立派な政治経済の組織(仕組み)を作つたとしても、それを運営する“人の心"が、己の利益ばかり追求したり、楽(手抜き)をしたりすれば、堕落し、間違つた方向に進んだりしがちです。

 

これが会社であれば《倒産》という結果をもたらし、国家であれば《戦争》の惨禍を引き起こす結果に繋がつていることは、これもいくつもの歴史的事実が示しています。要は、会社であれ社会であれ、幸福をもたらす組織を構築するには、それを運営する人々の“心"を正しくし、利己的や即物的な心ではなく、精神的に立派な心に育成することが大切です。人間自身の小ささを自覚し、偉大な自然や神や仏に対して謙虚且つ感謝の気持ちを持ち、正しい教えに素直に従うことが肝要となります。そのためには正しい宗教信仰が必要不可欠なのであります。

 

スカウト運動でも、「本連盟は、加盟員がそれぞれ明確な信仰を持つことを奨励する(ボーイスカウト日本連盟規定第1章第17条)」として信仰を持つことを奨励し、進歩課日の最終到達点である“富士章"においても、宗教章の受章を条件としていることからも、宗教信仰の必要性が顕れていることを示しています。

 

宗教信仰の必要性に本門佛立宗の教義を照らし合わせると、本当に必要な宗教であることが判つてきますc本門佛立宗は、本門人品所顕上行所伝本因下種の南無妙法蓮華経の御題目口唱という、誰にでもできる修行(易行)により、最高の功徳ご利益を得ることができる御信心です。ただ、いくら修行が易行であるとしても、人の気持ちは【良い面と悪い面】【強い面と弱い面】という移り易い変わり易いものでありますが、これを戒める“御教歌"もたくさん用意されて、修行を続けられ御利益を得られる様にされています。また、この最高の功徳を自分だけで独り占めにせず、他の人にも勧めて功徳ご利益を得られるようにすることで、世の中の全ての人の幸せを願い、真の世界平和を目標に、日夜菩薩行に励むことを勤めとしていることを旨としています。

 

本門八品所顕上行所伝本因下種の南無妙法蓮華経の御題目口唱という修行が、なぜ、最高の功徳ご利益を得ることができるかということに関しては、この修行が、久遠の本佛たる釈尊のお悟りである三大秘法≪本門の本尊・本門の戒壇。本門の題目≫の実践であることを、三祖聖人(高祖日蓮聖人・門祖日隆聖人・開導日扇聖人)がその御生涯をかけて立証していただいている通りです。次の項目「三祖の伝記」に、その御苦労が記されています。